同じ夢を見せてくれるのなら

心に移りゆくジャニーズごとをそこはかとなくかきつくれば

考えたこと感じたこと、思うこと、これから。

 

 

備忘録。

 

 

 

2019年1月27日、17時半ごろ。雑音程度についていたテレビのニュース速報でその第一報を耳にしました。

 

入りたてホヤホヤのFCサイトを開き、彼らが神妙な面持ちで一語一句をゆっくり聴かせるように話すのを、目をそらさないように必死で見ました。7分53秒の丁寧なメッセージ、最初に見たときは全然話の内容が入ってこなくて、受け入れたくなかったのもあるかもしれないけど、率直に「わからない」の一点張りで、パニックでした。決断を受け入れるとか受け入れないとか、納得するとかしないとか、そんな次元じゃなくて、この情報をまず認識することにすら苦しんだ。

このツイートからも、めちゃくちゃ混乱していることが伝わってくるしもはやそれしか伝わってこない。過呼吸のような息が苦しくなる感覚、今まで味わったことのない感覚。

 

動画メッセージ、文章、どちらをとっても私が知っている嵐とは違うと思ってしまいました。何回見たかわからない顔も、声も、明らかにわたしが知っている嵐のみなさんなのに。

動画を何度も何度も見ました。画面の中の皆さんが話すことを漏らさないように噛み砕きながら。そうしてなんとかちゃんと息ができるようになって。やっと言っていることが理解できました。少し落ち着いてきて、めちゃくちゃわかりやすく話していることに感心しました。笑 すんごい丁寧に説明してるやん。すご…嵐すご…

そして、嵐が嵐としている姿を観られなくなってしまう未来が近いうちに来てしまうことを認識したとき、何も考えられなくなった。

 

 

その後、zero、Enjoy、オトノハ、各レギュラー番組でのメッセージ、などなどもチェックできる限り見ました。

 

 

 

いつかこういう発表があることを一瞬でも想像しなかったわけではないんです。永遠なんてないってどこかではわかっていたつもりではいました。ただ、今じゃないな、とも思っていました。

 

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自分の中でこの発表に対してどういう感情を抱いたかわからない。いまでも、この話題を持ち出されたときにどういう顔をして話したらいいかわかりません。悲しい、とも、活動休止が嫌だ、とも、ちょっとづつ違う不思議な感情で、これは伝わらないし。

 

だからって、この話をするのが嫌だってわけじゃないんです。というか振られるまで、忘れている節すらあります。笑 嵐が今も嵐としてテレビなどで変わらず楽しませてくれるし、それはわたしの日常だから。木曜日と土曜日は嵐を観るのがわたしの日課です。たまに稽古に行かなければならなかったときや試験勉強をするときは何回か見逃すこともあったけど(すみません)、嵐がテレビで楽しませてくれるので、正直忘れちゃうんですよね。すごい。

 

 

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 特急嵐には停車駅がほとんどないだろうけど、絶対楽しい旅になる。

 嵐が今提供してくれるエンターテイメントを全力で楽しむ。そうして、できる限り、ついていきます。ついていかせてください。