同じ夢を見せてくれるのなら

心に移りゆくジャニーズごとをそこはかとなくかきつくれば

続・短編映画『DEATH DAYS』における「死んでない」の変化。

 

 

 

この記事は、以下の記事の続編として書きました。

nightskypuzzle.hatenablog.jp

 

 

 

上記の記事はYouTube版を繰り返し見て書いたものなのですが、機会があって映画館で『DEATH DAYS』(および『生まれゆく日々』)を見ることができ、その本編『DEATH DAYS』について、YouTube版とは異なる感想・考察が出ました。

 


www.youtube.com

 

この異なる感想というのが、同じものを別の場所で観たが故なのか、YouTube版を繰り返し見た⇄劇場で1回見たという差なのか、それとも劇場版とYouTube版のアレンジの違いを反映したものなのか、また、『生まれゆく日々』で補完されたのか…。原因は自分でも分からないです。(多分『生まれゆく日々』の影響はそれほど大きくないのでは、と現状では思います)

 

なので、ネタバレを努力の範囲内で避けつつ、YouTube版と劇場版の印象や解釈の変化をここに記しておこうと思います。

 

前回の記事を踏襲しながら書くので、まだの方は前回の記事からどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

YouTube版と劇場版、新しいカットであったり音響効果であったりという違いはあるのですが、話の筋や進行に対する印象に大きな違いはないと感じました。

 

 

 

 

YouTube版を見たときと一番印象が異なったのは、劇中に登場する曲『♪DEATH DAYS』でした。

この物語の大きなカギになる曲。そのメロディー、その歌詞、そしてこれを歌う本人たちの心境を強く反映するものでした。

 

なかでも、わたしが注目したのは、曲のニュアンスの変化。

 

 

 

まずは、YouTube版を見た時の『♪DEATH DAYS』についての記述がこちら。

第1話で、森田剛さん演じる主人公の「俺」は、自身の20歳のデスデイを友人と過ごし、その時に漠然と語ったバンドの夢が、思い描かれることになります。(略)ここでは、「死んでない」を「生きている」に言い換えただけ、ニュアンスの違いとか深い意味とかの裏付けは無いように感じます。

しいて言うなら若さゆえ、かな。

 

(略)

 

それを経て、エンドロールで流れる曲の響きが、どことなく変わって聞こえるようになります。(略)「生きている」感覚を失った彼がそれを取り戻すきっかけは、幼少時代の自分の声から始まります。(略)そこに現れた幼少時代の自分にたった一言“ただ生きろ”と言われて彼は手放すのをやめ、「死んでない」を強く握りしめ、「生きている」感覚を急速に取り戻します

短編映画『DEATH DAYS』における「死んでない」の変化と、一つの疑問。 - 同じ夢を見せてくれるのなら

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YouTube版における『♪DEATH DAYS』解釈図解

(図に入っている、“若さっぽさ”については、後述します)

 

 

 

 

 

劇場版で観て、この解釈(認識)に変化が。

大筋は変わっていないはずの本編で、これほどまでに解釈が変わってしまったことがまず衝撃でした。おそらく、おそらくこちらのほうが本質に近い解釈なのでは、と思っています。(YouTube版で何度も見たはずなのにこの解釈に辿り着かなかったほうが、いまとなっては不思議ですわ。)

 

第1話、友人とともに20歳のデスデイを過ごし、死なないままデスデイを終え、無事日付をまたぐことができた。

たったそれだけのことを「死んでない。」と表現しているのであって、「死んでない」はそれ以上でもそれ以下でも、言い換えでもないのではないか。

「生きている」から「死んでない」というような因果的な関係ではなく、「生きている」と「死んでない」は必要十分条件的な関係なのではないか。

 

 

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劇場版における『♪DEATH DAYS』解釈図解

 

 

 

 

 

 

あと、もう1つ、“若さっぽさ”について。

“若さ”とは違う、“若さっぽさ”を、彼らはあの空間に満たしていたような気がします。

「俺」が20歳で、その友人が同年代(同い年)で。そんな若い彼らが、ある面では楽観していて、ある面では諦観しているという、年頃ゆえというだけとは言い難い複雑さを持っているように、わたしには見えました。

この諦観と楽観およびこれらの小さくないギャップは、デスデイなる日の存在によるものでしょう。きっと、楽観と諦観の片方だけをずっと持ち続けているという人はほとんどいなくて、両方が共存しているんだろうなぁと予想します。

で、この、楽観と諦観が奇妙に混ざり合う場面が、20歳の俺のデスデイの日のビデオなんですよね。

劇場版図解のほうに“若さっぽさ”に関することを少し書きました。うまく言えないのでこの部分についてはいったん筆をおきますが、良い表現を思いついたら追記します。

 

 

 

 

 

 

と、いうことで、『DEATH DAYS』のYouTube版と劇場版のわたしが受けた印象の違いとその考察について、でした。

 

YouTube版と劇場版が全く同じ映像や音響というわけではないので、いまYouTube版を見てわたしと同じ体験ができるかは正直わかりません、すみません。

ここには書いていない、劇場版ならではの音響や初めて見るシーン、そして『生まれゆく日々』を見た後だからわかる文脈…YouTubeでは味わえない「小さな違和感のチリツモ」と「違和感の点が線になって面につながる瞬間」に新鮮に立ち会えて、鳥肌が立つ、劇場版でした。

 

YouTube版と内容こそ同じだけど、同じ味わいじゃない劇場版。

劇場でご覧になれる方はぜひ、ぜひ劇場で。

 

 

そして、わたしみたいに、YouTube版と違う印象を抱いた方がいらっしゃったら、どこかでこのように印象の違いをお話しくださるとうれしいです。