同じ夢を見せてくれるのなら

心に移りゆくジャニーズごとをそこはかとなくかきつくれば

俳優・森田剛さんに「字」を奪われた話。

 

このタイトル、実は、映画『前科者』を観た時の感想なんです。

 

また、私が観た森田剛さんの数作品に共通して体感することでもあります。

 

 

森田剛さんに「字」を奪われた」ということを字にする・文章にするということができるなら、いまの私の文脈で残しておこうと思って、これを書いています。

 

ネタバレは含まずに書こうと思っていますが、もしかしたら鑑賞前に見たくないものも含まれているかもしれません。

【追記】ネタバレ(本質)を含みます。ご注意を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、わたし個人の癖として、世の中のあらゆるものを文字で認識する癖があります。それは、本を読むのが好きだったり、おそらくテレビで誰かが話しているときも無意識にテロップを読んでいたり、スマホを手にしてからは沢山のネットニュースに目を通し、最近は特にSNSTwitter、このはてなブログなど)の発達や接する時間の増加に伴って、質を問わず、ときに過剰量ともとれる量の文字を目にし、文章を読み漁る毎日です。

テレビやラジオをTwitterで実況しながら楽しむ、というスタイルを習得してから、音声を文字にするということも自然にできるようになり、(おまけですがブラインドフリックも習得し(私がTwitterを始めた当初はテレビ実況ツイートは特殊能力の一つだというのを見たのと、実況文化が当たり前になったのは比較的最近だということもあって、私は慣れるのに相当時間がかかりました))音を音のままで捉えて感じるという機会も、減っているように感じています。

文字で認識するということに慣れきってしまっているので、わたしにとってはそれが自然で日常なんですよね。

で、いろいろなものを文字で認識している私にとって、ドラマや映画を見るときも、そのセリフは少なからず漢字に変換して(=文字にして)認識し、意味を理解しています。

 

 

映画『前科者』を観始めて数分、工藤誠さんが登場するまでの数分は、いろいろな情景も文字にして整理していました。工藤誠さんが登場するまでの数分は。

 

 

工藤誠さんが姿をあらわして、わたしは(わぁ…森田剛さんだぁ…)と思うわけですが。そんな浮ついた感情は一瞬で消え去りました。

そして、このとき、わたしは「字」を奪われてしまったことに気付くのです。

(映画『前科者』では、前科者たちが初めてスクリーンに出てくるとき、それぞれ名前と前科が文字で表示されます。工藤誠さんも他の前科者と同様に名前と前科を表示されるのですが、このとき以降、工藤誠さんの空間に文字を感じることはありませんでした。)

工藤誠さん(の中の人)に字を奪われる、ということ。文字で認識・表現するということを封じられ、自分が今見ている姿を、その姿のまま、画のまま認識しなければならないということ。

わたしは戸惑いました。字に変換することがいかに日常で、それによって理解し、自分の文脈に落とし込み、考察し、糧にしようとしていたか。また、“文字に変換することで自分の文脈に落とし込んで理解する”ということが、いかに傲慢な方法か。

この『前科者』においては特に、工藤誠さんや実さんをはじめとする登場人物を知り、理解し、寄り添おうとする過程で、“自分の文脈に落とし込んで理解する”というのが一切の意味を持たないこと、そして、彼ら一人一人の状況を、わたしの文脈ではなく彼らの背景や文脈の中で捉えようとすることの大切さを、痛感することになりました。

工藤誠さんや工藤実さんの立ち居振る舞いに、私が認識できる「字」が無かったんです。また、スクリーンに映る工藤誠さん・工藤実さんという人の名前が工藤誠・実であるということも、見失ってしまうほど。その瞬間の私にとっては、彼の名前は彼を社会的に識別する記号みたいなものにすぎず、わたしの目に映る彼は「彼」で、それ以上でもそれ以下でもなかったのです。

千尋の名前を奪い千にしたり、チャックを閉じるように喋ることを封じた湯婆婆のように。文字通り、工藤誠さんの中の人によって、私は「字」を奪われてしまったのです。

ちなみに、映画『前科者』の劇中において、私の「字」を奪ったのは、工藤誠さんと実さんの2人だけでした。他の人は、文字に変換して認識できたことになります。不思議です。自分にとって共感(同情)できる人が劇中には一人もいなかったのですが、傲慢さを反省する気持ちみたいなものが、誠さんや実さんに対して感じたものより限りなく薄いことに、時間が経って気付きました。(これが何を表しているのかは、自分ではまだわかっていません。)

 

 

厳密に言うと、工藤誠さんの中の人に「字」を奪われました。約140分間。

(スクリーンの中の工藤誠さんに“森田剛さん”を認識できなかったので、彼を“工藤誠さんの中の人”と表現しました)

 

 

以上、俳優・森田剛さんの魔法使いっぷりに驚いた、という話でした。

 

この話には続きがあるのですが、今回はここまで。おしまい。